-
貴金属・切手買取事例
日本万国博覧会の記念メダルを買取しました
- 作者
- 大蔵省造幣局
- 地域
- 石川県河北郡内灘町
石川県河北郡内灘町のS様、弊社ホームページのLINE鑑定からご連絡いただき、査定させていただきました。買取金額をお伝えしたのち、後日店内持ち込みにて買取させていただきました。
画像はその中の1点で日本万国博覧会の記念メダルです。大阪万博記念メダルの「MEDAL EXPO’70」は、金、銀、銅の3種類が発行されました。発行したのは財団法人日本万国博覧会協会で、製造は大蔵省造幣局です。そして、日本万国博記念メダル協会によって発売されました。いずれも表面のデザインは共通しており、大阪万博のシンボルである桜マークが刻まれています。記録によれば、金銀銅のセットは全部で20万部が発行されたとのことで、価格は当時で14500円でした。その他、花瓶や装飾品をいくつか買取させていただきました。すべて状態もよく、出来るだけ精一杯の金額にて買取させていただきました。大切にされてきた品々を買い取りさせて頂きありがとうございました。
坂井美術ではエキスポ70の開催を記念して発行された、純金製や18金製、純プラチナ製、純銀製の記念メダルや記念大判などの貴金属を高価買取させていただいております。当時よりも高い価格が付きやすい一品ですので、ご自宅で眠っている方は、是非ご相談ください!
整理・生前整理・終活などご相談ください
大な人生の締めくくりを、安心して迎えるために。
私たちは終活の準備をお手伝いします。
お客様の想いを尊重し、ご家族が困らないよう負担を軽くするサポートをいたします。
心の整理ができ、安心して生活できる。
「未来の安心」を一緒に整えていきましょう。
当店公式LINEでは、買取を希望される骨董品がお手元にある場合、大まかな予想買取価格をお伝えすることができます。スマートフォン版LINEで下記QRコードをスキャンして友だち追加いただき、トークにお名前・商品名・商品写真をお送りください。

実家の蔵や倉庫に眠る品々、遺品整理で見つかったお品、
「良いものだけど作家がわからない」「ガラクタにしか見えない」——そんなお悩みはありませんか?
株式会社坂井美術では、骨董品・美術品に精通した鑑定士が、一点一点丁寧に査定・買取いたします。
思い出の詰まった大切なお品を、納得のいく価格でお引き受けいたします。
どうぞお気軽にご相談ください。
出張買取・店内持ち込み歓迎
坂井美術では、お客様のご要望に沿って様々な買取方法を行っています。店内持ち込みはもちろん、出張買取やLINEでの簡易鑑定もおまかせください。
取扱商品は、中国美術、茶道具、煎茶道具、鉄瓶、金瓶、銀瓶、古美術品、骨董、蒔絵、工芸品、陶磁器、有名作家作品、書画、日本画、洋画、版画、着物、古民芸、各種収集品、貴金属など多数あります。
お気軽にお問い合わせください。
買取対応エリア
石川県
金沢市、七尾市、小松市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市、野々市市、川北町、津幡町、内灘町、志賀町、宝達志水町、中能登町、穴水町、能登町
富山県
富山市、高岡市、魚津市、氷見市、滑川市、黒部市、砺波市、小矢部市、南砺市、射水市、上市町、立山町、入善町、朝日町、舟橋村
福井県
福井市、敦賀市、小浜市、大野市、勝山市、鯖江市、あわら市、越前市、坂井市、永平寺町、池田町、南越前町、越前町、美浜町、高浜町、おおい町、若狭町
石川県をはじめ、近隣地域を中心に全国出張買取いたします!
日本万国博覧会 EXPO’70 エキスポ 記念メダル 3枚セット K18 箱付 コイン
日本万国博覧会
Japan World Exposition Osaka 1970, Expo’70
1970年(昭和45年)3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会。
アジア初かつ日本で最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇った。略称は開催地・開催年から大阪万博あるいは70年万博、一般的な英語表記としてはEXPO’70が用いられた。また、日本国内において単に万博あるいは万国博とも略される。
「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77か国が参加し、終戦25周年記念として、戦後の高度経済成長を成し遂げアメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。主催は財団法人 日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子明仁親王、名誉会長は当時の内閣総理大臣・佐藤栄作。コンセプトは「規格大量生産型の近代社会」。その日本においては1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。大阪市など会場周辺市街地では開催へ向けて道路や鉄道・地下鉄の建設などといった大規模開発・整備がなされ、日本政府の万国博関連事業として6500億円あまりが支出された。一方、第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は文化・芸術界内部で批判があったほか、同じく1970年に予定されていた日米安保条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目からそらすものだとして、大学生らによる反対運動も行われた。
常識を覆すような超巨大プロジェクトゆえに日本全国で物議を醸したが、世界各国の新技術や文化を結集し、一時の未来世界を作り上げたことで6422万人が来場し、大成功を収めた。本博覧会では、サインシステム、動く歩道、モノレール、リニアモーターカー、電気自転車、電気自動車、テレビ電話、携帯電話、缶コーヒー、ファミリーレストラン、ケンタッキーフライドチキンなど、21世紀の現代社会で普及している製品やサービスが初めて登場した。本博覧会を機に広く有用性が認知され、直後に日常生活にも広がっていった製品は少なくない。しかし、技術的な難易度が高く、現代でも実用化に至っていない製品もある。レトロフューチャー的な施設デザインは、清潔感があることから、のちの展示会などでも大きな影響を与えた。閉会後半世紀以上経つ今なおイベントの知名度は高く、高度経済成長期の日本を代表する出来事として取り上げられることが多い。
テーマ館の太陽の塔やアメリカ館・ソ連館などの人気パビリオンでは、数時間待ちの行列ができるなどして大変混雑した。特にアポロ12号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々と続き、途中であきらめて他の館へ行く人も多かった。その異常な混雑ぶりから、テーマをもじって「人類の辛抱と長蛇」や「残酷博」と揶揄されたことがある。また、国際博覧会史上初めて黒字となった。
大阪万博の最終的な総入場者数は約6422万人で、2010年中国・上海で開かれた上海万博に抜かれるまでは万博史上最多であった(上海万博は約7309万人)。また、愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものだが、その後の博覧会の愛称にも引き継がれている(科学万博=つくば博、花の万博=大阪花博、愛知万博=愛・地球博)。
貴金属・切手買取事例
掛け軸買取事例
貴金属・切手買取事例