大谷句仏の掛軸を買取しました

  • 掛け軸買取事例
大谷句仏の掛軸を買取しました
作者
大谷句仏
買取地域
富山県 富山市

富山県富山市のF様。お祖父様の遺品整理のため、出張鑑定をご依頼くださいました。掛け軸と焼物の骨董品をいくつかご依頼いただき、1点ずつ拝見しながら査定させていただきました。
画像は大谷句仏の掛軸です。大谷句仏は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家です。東本願寺第二十三代法主で、真宗大谷派管長、伯爵でありました。
当店では掛け軸を高価買取させていただいております。飾ることもなく、管理もできない掛け軸がありましたら、シミができる前の売却をおススメします。年々価値が下がっている事も事実ですが、それよりもせっかくの作品を駄目にしてしまうのは非常に勿体ない事ですので、管理のできない掛け軸がありましたら坂井美術にご相談下さい。
また、今回の買取では大谷句仏の掛軸など、掛け軸や骨董品を数点買取させていただきました。シミや汚れのあるものもありましたが、箱付ということもあり、出来るだけ精一杯の金額にて買取させていただきました。大切にされてきた品々を買い取りさせて頂きありがとうございました。

 

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特徴

掛軸 大谷句仏 笹粽 画賛 絹本 共箱

作者について

大谷 光演(おおたに こうえん)
1875年(明治8年)2月27日 – 1943年(昭和18年)2月6日
明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家。法名は「彰如」(しょうにょ)。俳号は「句仏」。
別号に愚峰。東本願寺第二十三代法主。真宗大谷派管長。伯爵。妻は、三条実美の三女・章子。長男は大谷光暢。

人物
大谷光瑩の二男として生まれる。母親は木下氏、童名は光養麿。幼少より病弱で、12歳のころ、病により片足が不自由となる。1900年まで南条文雄・村上専精・井上円了らについて修学。また幸野楳嶺や竹内栖鳳に日本画を学び、さらに正岡子規の影響を受け、『ホトトギス』誌にて河東碧梧桐、高浜虚子らに選評してもらい、彼らに傾倒して師と仰いだ。後に『ホトトギス』誌の影響から脱し独自の道を歩む。生涯に多くの俳句(約2万句)を残し、文化人としての才能を発揮、日本俳壇界に独自の境地を開いた。「句仏上人」(「句を以って仏徳を讃嘆す」の意)として親しまれる。
1901年、札幌には宗教系の学校が北星女学校しか無い事を知り、同地での仏教系女学校を思い立つが資金調達に難航し、開設するには至らなかった。1902年(明治35年)に北海道庁立札幌高等女学校が開設されたため、札幌初の非キリスト教系女学校の開設には至らなかったが、4年後の1906年(明治39年)4月に、札幌初の仏教系女学校である北海女学校の開校に漕ぎつけた。
かねてより負債問題で紛糾していた先代が脳病となったため引退し、財政立て直しのために光演が35歳で跡を継いだが、鉱山事業などで失敗して自己破産を申請し、1925年に引退して長男に管長を譲った。

年表
本山は「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。
1875年(明治 8年) 2月27日東本願寺第二十二代法主 現如の次男として誕生
1885年(明治18年) 得度
1900年(明治33年) 5月仏骨奉迎正使としてタイを訪問
1901年(明治34年) 真宗大谷派副管長
1906年(明治39年) 札幌で仏教主義の女子学校として北海女学校を開校。
1908年(明治41年) 11月、退隠した父・光瑩より第二十三代法主を継承し、真宗大谷派管長となる。
1911年(明治44年) 宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌法要を厳修。
1925年(大正14年) 朝鮮半島における鉱山事業の失敗から、東本願寺の財政を混乱させ引責・退隠し、長男の闡如に法主を譲る。
1943年(昭和18年) 2月6日、68歳にて示寂。

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