薩摩焼は、鹿児島県を代表する伝統的な陶磁器です。
その歴史は古く、独特の風合いや美しさから、国内外で高く評価されてきました。
特に「白薩摩」と「黒薩摩」という二つの異なる趣を持つ種類があり、それぞれが薩摩焼の魅力を形作っています。
今回は、薩摩焼の基本的な特徴から、その起源、発展、そして現在の産地や窯元について解説していきます。
薩摩焼の基本的な特徴とは?
白薩摩と黒薩摩の二種類
薩摩焼は、その独特な風合いや用途の違いによって、大きく「白薩摩(愛称で白もんとも呼ばれます)」と「黒薩摩(黒もんとも称されます)」という2つの代表的な種類に分類されます。
この2つは、焼成に用いられる粘土の質、施される釉薬の種類、そして最終的な焼き上がりの美しさにおいて、まるで対照的な個性を持ち合わせており、それぞれが薩摩焼の持つ奥深い魅力を異なる角度から表現しています。
白薩摩は繊細な装飾品
白薩摩は、その名の通り、象牙質を思わせるような温かみのある乳白色、あるいは淡いクリーム色の生地が特徴です。
この生地に透明感あふれる釉薬を施すことで、上品で洗練された光沢が生まれます。
焼成の過程で生じる微細なひび割れ、すなわち貫入(かんにゅう)が意図的に、あるいは自然に現れることもあり、これが独特の風合いと趣を加えています。
さらに、赤、青、緑、黄色といった鮮やかな色絵具を用いた緻密な絵付けや、金箔・金泥による華やかな金彩(きんさい)の装飾が施されることが多く、その繊細で優美な造形美は、見る者を魅了してやみません。
こうした特徴から、白薩摩は主に、床の間を飾る花生(いけはな)や香炉、鑑賞用の飾皿、あるいは大切な方への贈答品や、茶道の世界で用いられる急須や湯呑みなどの茶道具、さらには精巧な置物といった、装飾性の高い品々に仕立てられることが一般的です。
黒薩摩は実用的な器
一方、黒薩摩は、鉄分を豊富に含んだ粘り強い黒褐色の粘土を主原料として作陶されます。
この粘土に、黒や焦げ茶色を呈する釉薬を施すことで、どっしりとした重厚感と、大地のような力強い風合いが生まれます。
表面の質感は、ざらりとした肌触りや、鉄釉による独特の光沢を持つものまで様々で、素朴でありながらも、使うほどに味わいが増すような、親しみやすい魅力にあふれています。
このため、日常の食卓で活躍する茶碗、酒器(ぐい呑みや徳利など)、そば猪口、さらには土鍋や鉢といった、実用性を重視した器として、古くから多くの人々に愛用され続けてきました。
薩摩焼の起源と発展
朝鮮出兵で陶工がもたらされた
薩摩焼の歴史は、16世紀末、1592年から1598年にかけて繰り広げられた朝鮮出兵、通称「文禄・慶長の役」という激動の時代にその起源を持ちます。
この戦役の折、薩摩藩の第17代藩主である島津義弘公は、朝鮮半島から多くの優れた陶工たちを薩摩の国へ連れ帰りました。
彼らが持ち込んだ高度な製陶技術、例えば、ろくろを用いた精緻な成形法、多彩な釉薬の調合技術、そして窯の温度管理といった知識は、当時の薩摩の風土や土質と融合し、後の薩摩焼が独自の発展を遂げるための礎となりました。
パリ万博で世界に広まった
薩摩焼が「SATSUMA」の名で国際的な名声と注目を集めるようになる決定的な契機となったのは、1867年(慶応3年)にフランス・パリで開催された第1回パリ万国博覧会への出品でした。
この世界的な規模の博覧会において、特に白薩摩の洗練された乳白色の生地に施された優美な装飾や、緻密な絵付けが、当時のヨーロッパの芸術家やコレクターたちの間で大変な喝采を博しました。
「SATSUMA」というブランド名が確立され、その芸術性と技術の高さは、世界中の人々を魅了するに至りました。
この成功は、日本美術の海外進出における重要な一歩ともなり、薩摩焼は一躍、国際的な陶磁器としての地位を不動のものとしたのです。
島津藩の産業として発展
パリ万博での輝かしい成功は、薩摩焼の地位を大きく変えました。
それまで主に国内で消費されていた工芸品という枠を超え、島津藩にとって、そして明治新政府にとっても、極めて重要な輸出品、すなわち「国策」とも呼べる産業へと押し上げられたのです。
海外、特に欧米諸国からの旺盛な需要に応えるべく、藩は生産体制を強化し、品質管理を徹底しました。
これにより、薩摩焼は貴重な外貨獲得源となり、藩経済の活性化、ひいては日本の近代化を支える一翼を担う、威信をかけた産品としての役割を担うことになったのです。
薩摩焼の産地と窯元はどこ?
鹿児島県が主な産地
薩摩焼という名称が示す通り、その発祥の地であり、現在も主要な生産地となっているのは、日本の南端に位置する鹿児島県です。
鹿児島市街地周辺はもちろんのこと、指宿市や日置市、川辺郡など、県内各地に陶郷が点在しています。
これらの地域に豊富に存在する、火山灰を起源とする独特の土壌(シラス台地など)と、古くから伝わる製陶技術とが巧みに融合することで、この地ならではの個性豊かな薩摩焼が育まれてきました。
現在も続く窯元は限られる
かつては薩摩焼の生産を担う窯元が各地に数多く存在していましたが、明治維新以降の産業構造の変化や、近代化の波、そして後継者問題など、時代の大きなうねりとともに、その数は次第に減少傾向を辿りました。
しかしながら、伝統の技法や精神を頑なに守り続け、今なお情熱を持って薩摩焼の制作に取り組んでいる窯元は、決して少なくありません。
彼らは、失われつつある技術の継承に努めるとともに、現代の生活様式や感性にも寄り添う新たな表現を模索し続けています。
苗代川系・龍門司系・竪野系が残る
薩摩焼の歴史の中で、特に重要な系譜として受け継がれてきた流派には、苗代川(なえしろがわ)系、龍門司(りゅうもんじ)系、竪野(たての)系などが挙げられます。
苗代川系は、朝鮮陶工の末裔たちがその技術を色濃く受け継ぎ、素朴で力強い作風が特徴とされます。
龍門司系は、藩窯としての性格も持ち、洗練された白薩摩や、黒薩摩の釉薬の美しさに定評があります。
竪野系もまた、独自の釉薬や技法を受け継ぎ、それぞれの窯場が、互いに切磋琢磨しながら、今日まで薩摩焼の伝統と多様性を守り続けています。
これらの系統に連なる作品群は、それぞれが独自の個性を放ち、多くの陶芸愛好家やコレクターを魅了し続けているのです。
まとめ
薩摩焼は、朝鮮半島からの技術伝承を起源とし、繊細で華やかな白薩摩と、重厚で実用的な黒薩摩という対照的な二つの顔を持つ、鹿児島を代表する陶磁器です。
1867年のパリ万博での成功を機に世界にその名を知らしめ、島津藩の産業としても発展しました。
現在も鹿児島県を中心に、苗代川系、龍門司系、竪野系といった伝統を受け継ぐ窯元によって、その魅力的な作品が生み出され続けています。
歴史と伝統に裏打ちされた薩摩焼の美しさと奥深さは、これからも多くの人々を魅了していくことでしょう。
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